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情の道

大相撲とベガルタ仙台が生活の中心。

2006-11-08-Wed-20:42

相撲とことんトーク(本編):5

申し込み葉書で寄せられた質問に答えるコーナー。質問は2人が葉書を見て選んだもの。 Q.土俵は何故丸いのか?織田信長が原型を作ったという話は本当か?
内:土俵が出来る前は地面で取っていた。激しい相撲を取ると土俵が無いからどこまで行っても決着がつかない。
  1699年、江戸時代に土俵が登場。昔は「方屋」と呼んだ。相撲を見に人が寄ってきて丸く人垣ができあがる。
  これを「人方屋」と呼び、その中で相撲を取っていた。
  すると人にぶつかって怪我をしたりして危ないから幕府が相撲を中止させた。
  その後復活したらもう土俵があった。
  そこに信長が関与してるという話は文献を探したがみつからなかった。時代も違うし。

デ:相撲錦絵を見る機会があったら、土俵を見て欲しい。
  俵が土に埋まってるんじゃなく、並べて置いてある土俵の絵がある。そういう時代もあった。
  あと、青森県南部地方及び岩手県(笑)・・・南部地方と言うが・・・は四角い土俵。


復活したらあったということは、どんな経緯で俵に土を詰めたものを使ったらというアイディアが出てきたのかきちんと分かってないのかな?土俵が出来る前はモンゴル相撲みたいに1つの取り組みが延々と続いてたのならば、江戸より前の相撲はどんな感じの取組だったんでしょう。台覧相撲など偉い人やお侍さんがいっぱい見てる前でだらだら取り続けるわけいかんよね。お侍さんとこにつっこむのもまずいし(^_^;)考えてコントロールしてたのかな?

閣下の「青森県南部・・・」のフレーズに反応して肩を揺らしてた人は全員聖飢魔II信者だぁ~(笑) けっこういたなぁ。みなさん私みたいに相撲も好きなのか、閣下しか好きじゃないのか。関東や九州から来た人もいるということなので、後者もけっこういそうだな。
因みに行司が四股名を呼び上げる時に言う「かたや」はこの方屋からきてるそうです。

Q.相撲の美学と音楽とのつながりは?
デ:深く繋がってると思う。作った歌や曲とか作った「物」は受け継がれて続いていく。
  歌を歌うと言う行為は二度と同じ歌は聴くことが出来ない。
  曲は受け継がれていくがその日やってるものは一期一会でその時にしか味わえない儚いもの。
  相撲も一緒。


バッハやドビュッシーなどが書いた曲は楽譜という形で残され後世に伝えられていく。けどその曲を演奏することにより生まれる音や空気はその場にいないと聞けないし感じ取れない。演劇だって同じ演目を昼と夜2回公演するけど同じ台詞を言ってたって全く同じには言えない。同じにやろうと思ったってできない。
相撲も土俵入りや塵手水など昔から受け継がれてきてるものがたくさんあるのと同時に取組そのものはあっという間に勝負がつき、もう1回と思っても戻ってこない。

Q.おっつけとは?
ここで再び相撲部員登場ぅ~♪閣下と組んで実際にやって見せてくれました。おっつけの他、絞る・腕(かいな)を返すという行為についても説明してくれるサービス付き。更に閣下は主将が肘にサポーターをしていることに気づき、サポーターをしてない側の腕で説明しようと体勢を変える心遣いも。
デ:どんな決まり手が好きかという質問が特に女性に多かったが・・・・・答えは無い。
  相撲はこういう技で決めようと思って取ることってまず無い。なりゆき。


ドルジが吊り落としをやってた頃は「これで決めてやる!!」っていう気満々だったよね(笑)
でも折角質問するんだからもうちょい面白いの考えなきゃぁ~。私は内館さんへの質問の他にもう1つ書いてたんだけどそっちは採用されませんでした。
あと、「閣下は相撲を取ったことがあるのか」という質問もあったそうで、同好会に入って取ってましたよと合間に答えてました。

Q.横綱土俵入りの時行司が言ってる「シー」って何?
内:警蹕(けいひつ)という。もともとは神が歩く道に余分なものが入らないよう道を空けさせてたもの。
  奈良時代に相撲(すまい)の節会が始まった。その時に天皇が通る道を空けるようシーと言って追い払っていた。
  それが天平6年から2006年の今に伝わっている。


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